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私は昨年の二月に、28年間勤めていた会社から突然に、「経営不振でこのまま続けていると、倒産してしまうので、社員全員解雇させてくれないか」と通告があり、このご時世じゃ仕方がないかと、会社が近所だし、ごたごた争うのも嫌だし、素直に受け入れた。そして三月から初めてのハローワーク通いになった。
赤旗日曜版に掲載されていた川柳に、「ハローとは いえぬ職安 人で沸き」という作品があったが、行ってみて驚いた。新聞やテレビの報道で、不況、倒産、リストラの文字や言葉が、毎日のように見聞され、知ってはいたが、これほどまでとは思わなかった。
私は障害者専用の受け付け窓口に行き、更に現実の厳しさを味合わされた。失業保険を三百日支給されている間に、障害者専用の就職斡旋集団面接会に何回か行き、計六社の面接を受けたが、結局、全社不採用となってしまった。加えて、現在、私は就職活動中、失業率は過去最悪の5.6%という状況のもと、改めて厳しさを痛感している。
先日、かたくら洋区議に相談にのってもらい、区役所の障害者福祉課の担当の方に会い、窓口の対応の変わりようにびっくりした。母親の話を聞くと、戦時中は障害者はお国のお役に立てない非国民ということで表にも出さないでいたという。
私もたしか30年くらい前の役所の対応で"たらい回し"にされた記憶がある。今回、親身になって相談に乗ってくれた職員の姿を見て、革新都政の誕生が大きな変化を作りだしたこと、そして、何よりも共産党が伸びたことがこうした変化を生み出したのだと思う。 向島後援会・(M・I)
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